私が医薬専門の在宅翻訳者になるまで

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こんにちは。メディカル翻訳者&メディカルライターの山名文乃です。

今回は、私が医薬専門のフリーランス翻訳者になるまでの経緯を話したいと思います。少し長いのですが、興味のある方はよかったらご覧ください。

それではどうぞ。

バイオの研究に明け暮れた大学院時代

大学と大学院では微生物を対象にDNA解析を取り入れた分類研究をしていました。研究室で過ごした3年間は毎週ゼミがあり、月1回は海外論文をもとに発表をする決まりでした。数本の英語論文を精読するだけでなく、相当数の参考文献にも目を通さねばなりません。当時、英語に苦手意識のあった私にはかなりのプレッシャーで、いつも準備に追われていました。それでいてゼミ当日は、教授や准教授から鋭い質問があって満足に答えられず終わる...といった具合で、華々しい思い出はありません。

ところが一度だけ「今日は良かった」と言ってもらえたことがありました。普段は与えられたテーマに沿って発表をするのですが、その時は私が面白いと思った、ちょっと変わった論文を持ち込んでいたのです。準備のときも発表のときも、いつもとは違った手ごたえを感じていました。そんな時に「良かったよ」と褒めていただけ、嬉しかったのを覚えています。

大きく違っていたのは、私の興味と好奇心です。発表の組み立てであるとか、英語で書かれているとか、それ以前の問題で、まずは自分自身が強い興味を持つことが大事だったのだ、と気づきました。

社会人になり英語力を底上げ

今でこそバイオベンチャーの動きも活発ですが、大学院修了時にはまだ氷河期の余波があり、研究職どころか普通の就職も危ぶまれていました。幸いにも就職先は決まりましたが、贅沢は言えないと分かっていても機会があれば転職したいな、という気持ちもありました。

あるとき会社で大がかりな組織再編があり、社長や大半の役員が外国の方に変わって、ほとんどの会議に通訳が入るようになりました。役員と同等の決裁権限が付与された通訳の方もいました。英語ができるといろいろと有利らしい、と刺激を受けた私は、本気で英語に取り組んでみようと思い立ちます。いままでの経歴とスキルに英語力が加われば、給与面でも好条件で転職できるのではないか、と考えたのです。

留学して英語を学ぶのが良さそうに思えましたが、語学のためだけに仕事を辞めるのはリスクが高すぎます。日本に居ながら留学と同じ効果を得るにはどうすればよいか考えた末に、IELTSなどの留学対策を行っている専門校で英語力を底上げしようと決めました。正規の教育を受けた英語ネイティブが英文法を教えてくれる学校で、週2回の授業に3年間通いました。

モチベーションを維持するコツ

英語の習得にはバランスが大事です。インプットとアウトプットのバランス、読む書く聞く話すのバランスです。そこで授業以外にもバランスよく毎日英語に触れる工夫をしました。洋書は、テーマを定めず好きなものを読んでいました。音声は、学習者用のポッドキャストを活用して通勤やスクールへの往復に欠かさず聴いていました。アプリを使ったディクテーションゲームや、ヒアリングマラソンでシャドーイングもしてみました。Skypeを使ったオンライン英会話や、たまには勇気を出して英語関係のイベントに行くこともありました。

「英文法の勉強に3年」と話すと皆さん一様に驚かれます。飽きずに続けることができたのはスクールが楽しかったからです。ライティングの授業では添削を受けることもでき、気軽に参加できる作文コンテストもありました。また、英語を勉強していることを知った上司が、海外本部との会議に同席させてくれたり、英語で書く社内報や報告書を任せてくれたりするようになり、英語を活用する場が増えたのも良かったと思います。

英語学習者から翻訳学習者へ

あるとき、TOEIC講師の方が運営しているwebサイトに「翻訳者として仕事を始めるには」というコーナーがあるのを見つけました。翻訳者になれれば、専門を生かしながら一生の仕事にできるかもしれない。そんな期待が膨らみました。翻訳の仕事では在宅が主流であることもわかりました。通勤ラッシュとも無縁で、オフィスの冷暖房に悩まされることもない、魅力的で理想的な働き方に思えました。

翻訳スクールにもいくつか見学に行きました。教務の方に「バイオのバックグラウンドがあるなら、いま不足しているバイオ分野の特許翻訳者を目指してはどうか」とアドバイスを頂き、特許翻訳の専科コースに入学しました。修了時には講師の方が「もっと実践的な内容を教えてくれる良い先生がいる」と、現役のベテラン翻訳者が主催する英訳専門のゼミを紹介してくださいました。

ご紹介いただいたゼミは、とてもレベルが高く、社内翻訳歴20年の方や翻訳会社を経営する傍ら翻訳者としても稼働している方などが通っていました。クラス内で全くの未経験は私1人です。一生懸命調べて訳文を作っても、いざ授業で他の方と比べるとまぶしいばかりで、はやく皆さんのように、そして先生のように上手に訳せるようになりたいと必死で食らいついていました。

熱意が引き寄せたご縁

ゼミで足かけ1年ほど学んだ頃です。先生から「そろそろ仕事に挑戦してはどうか」と言っていただけるようになり、早速トライアルの申し込みを始めました。自分から間口を狭めるのは良くないと思っていたので、在宅翻訳だけにこだわらず、オンサイトでも周辺業務でもボランティアでも、経験の足しになりそうと思えば何でも応募してみました。

あるとき、期間限定プロジェクトにチェッカーとして参加しないかと声をかけていただけました。未経験者を採用した理由は「ポテンシャルを感じたから」ではなく「(トライアルの成績が良かった人の中で)住まいが会社から近く、コミュニケーションをとりやすそうだったから」だそうですが、何であれ採用は採用です!

新しい仕事は、最初の1週間だけオンサイトで、以降は在宅で作業するという契約でした。仕事以外の時間を使って他のトライアルにも応募していましたが、書類選考だけで落ちることもありました。それでも応募を続けていると、ある大手翻訳会社の採用担当の方から「会いたい」と連絡がありました。いよいよ面接かと期待して赴いた私は、経歴書の書き方について3時間も諭されることになります。

「あなたの経歴書は時系列に並べてあるだけだよね。これでは、今まで何を学んできて、それが翻訳にどう生かされるのか、これからどんな風に翻訳に関わっていきたいのか、ストーリーが見えてこない。未経験から翻訳職を目指すなら尚更、工夫して書かないと、そう簡単には採用に至らないよ」

チャンスの神様がやってきた

まったく仰る通りでした。私は何が得意で、将来はどうしたいのか、もう一度よく考えてみました。そうして経歴書を書き直してからは、書類選考で落ちることはなくなり、トライアルにも合格するようになっていきました。

そんなある日、特許翻訳で合格していた会社から論文英訳の打診がありました。勉強してきた分野と違うので心配でしたが、ともかくも初仕事です。ありがたくお請けして、精一杯やってみました。

こうして1件とはいえ念願の翻訳実績ができました。

私は、これを活かすためにも医療系のトライアルを受けてみようと思いつきます。経歴書を書き直して応募してみたところ、不思議なことに、勉強してきた特許よりも医薬分野のほうが格段に合格率が良かったのです。「私には医薬翻訳のほうが向いているのかな」と思いました。特許翻訳に取り組んでいるときと、医薬翻訳に向き合っているときでは、自分のワクワク感が違うことにも気づきました。「プロの端くれとして、正しく訳して正しく伝える!」という気持ちを最も強く持てたのが、私にとっては医薬翻訳だったのでした。

そんな経験もあって、ゼミ受講生の皆さんには「バックグラウンドの有無よりも、興味を持つことのほうが、よほど大事です」とお伝えしています。文書の内容に興味を持ち、ワクワクしながら取り組むことが、訳文の品質を上げていく上でも、翻訳の仕事を続けていく上でも、一番の原動力になると思うのです。

翻訳で生活していくために

それからは医薬分野に絞ってトライアルを受けましたが、目安として何社くらいに登録すれば翻訳者として生活が成り立つのか知りたいと思っていました。お茶会やオフ会などで先輩方に聞くと、皆さん「2~4社から仕事を受注しているけれど、登録はもっと」とおっしゃいます。10~20という方もいれば、30~40を超えるという方もいました。

そこで、まずは1年間で10社登録を目標にしました。集中的に挑戦したので達成までに半年かからなかったと思います。合格しても登録だけで終わった会社もあれば、比較的すぐに依頼のあった会社もありましたが、10社目に合格した頃には途切れなく打診をいただけるようになっていました。

ですが、実案件を受注するようになると、大体2社くらいからの依頼で当面のスケジュールは埋まってしまいます。こうして私も先輩方と同じく「コンスタントに取引があるのは2~4社だけど、登録はもっと」という状態になることができました。いまでは翻訳会社を介さず直接やりとりする仕事先のほうが増えてきましたが、間隔をあけずに取引があるのはやはり3社くらいです。

私が心がけてきたこと

相手の立場になって目の前の1件に全力を尽くすことです。

お客さまからは「文系の人に頼んだけど、分かってなかったみたいで...」という声を聞きます。ここで問題なのは「文系だから」ではなく「分かっていない」と思われることです。

たとえば、言葉遣いに敏感な方にとって、書き間違いや文法誤りのある文章を読まされるのは、とても苦痛な筈です。同じように、医薬分野の読者である臨床医や薬学の専門家が苦々しく思うことは何でしょうか。自分たちが常識的に使っている表記と違っていたり、字面だけをなぞったような文章になっていたりしたら、「この翻訳者は大事なところを分かっていないようだ」と思うのではないでしょうか。

ですから私は、専門用語は絶対に正しく訳出すると同時に、内容をよく理解した上で読み手に違和感を与えない文章にしようと強く意識していました。そのお蔭かどうか分かりませんが、リピートでご指名をいただいたり、まだ1年目のうちから「経験10年の翻訳者にも匹敵する出来」と喜んでいただけたりすることもあり、ますます頑張ろうと励みになりました。

翻訳の仕事でありがたいなと思うことの1つは、いわゆる売り込み営業をしなくてもすむところです。心を込めて取り組んだ仕事には、達成感もありますし、お客さまも喜んでくださいます。積み重ねていくと「またあの人に頼もう」と思ってもらえます。仕事が仕事を呼んでくれます。だから翻訳者としてなすべきことは、目の前の1件に集中すること、独りよがりの自己満足ではなく、相手に寄り添った文章に仕上げること、これに尽きると思うのです。

(了)